阪急バス【宝塚営業所】【西宮営業所】の路線バスも7時過ぎに全面運休を決定しました。
今後、道路の状況など引き続き確認しながら送迎に関しては随時、連絡させていただきます。
なお、《児童発達支援》に関しては保護者様の送迎ですが危険な場合にはお休みください。(欠席対応加算などは発生させません。)
2023年1月25日午前5時54分
保護者様各位
オルタナティブ・スクールとも
管理者兼児童発達支援管理責任者
田中和子
大雪に伴う【とも】の開所について
現在、宝塚市には《大雪注意報》が発令されています。
JR西日本:安全確認出来次第、運行再開予定
阪急バス:宝塚営業所路線は運行中
阪急電車:通常運行
各幼稚園・学校の所在地のj状況によっては休園や休校もしくは、お子さんの安全確保と教職員の安全確保及び出勤体制が取れるかどうか?によって始業を遅らせる措置を昨夜の時点でお知らせがあったようです。
《とも》は、開所いたしますが学校所在地やお家の所在地によっては、送迎が不可能になることも予想されます。公共交通機関や気象庁の発表を勘案しながら柔軟に対応させていただきます。
ご理解、ご協力をお願いいたします。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230116/k10013950571000.html
28年前の午前5時過ぎ。
私はそろそろ出勤の用意をしようと布団から出る寸前でした。
突き上げるような振動の後に長い大きな揺れを感じて、心臓はバクバクしていました。
何を考えていたのか?混乱した私は窓を開けたまでは良かったのですが、ガスの臭いが外からしているにも関わらず、
お湯を沸かすためにガスコンロに火をつけていました。
食器は1つだけ割れていましたが、床がフローリング材だったので棚が滑って一緒に揺れたことで被害がなかっただけでした。
ピアノもエレクトーンもフローリング材のおかげで滑って前に出ていただけ。
ただ、長男が眠っていた部屋はじゅうたんだったので、勉強机が対面の洋服ダンスに倒れかかった状態で、その下の布団の間に長男は眠っていましたが全く起きていませんでした。
慌てて、親の安否確認をしてほぼ揺れなかったことと聴き「元が竹林だと違うのかな?」と出勤するために実家近くの保育所に下の2人の子どもを預けに行きました。(確かに保育所はなんともなかったのです。)
ただ、当時、勤務していた築後1年足らずの発達支援センターは壁にヒビが入っており、車寄せの下のタイルが盛り上がっていました。
もちろん、目の前の大阪モノレールの柱にもヒビが入っているのが確認出来ました。(すでにモノレールは運行をやめていました。)
発達支援センターの目の前は大阪中央環状線が走っているのですが、東西とも車が動きません。
(私は出勤経路が市内の道路でも生活道路だったので、車の渋滞に気づきませんでした。
後になって「千里中央から蛍池まで8時間かかった」という同期の話を聞いて驚きました。)
発達支援センター勤務のバスの運転手さんが被害がひどかった東灘区にお住まいで2週間ほど安否確認が出来なかったので、園長はバタバタしながらも
一旦、1月17日は保育所や学校に子どもを通わせている職員を昼で帰宅させてくれました。
とはいえ、公務員はこのような非常事態になれば家族を置いてでも出勤することが仕事です。
発達支援センターも安全確認後には避難所指定されたのですぐに出勤したのですが、療育はしばらく中止。
私たちは万が一避難してこられる市民がおられたら受け入れ出来るように待機していました。
幸い、発達支援センターがあった近隣は被害もほとんどなく避難者はおられなかったので、職員は被害が大きく出た市内の南部の避難所に応援に行くことになりました。
28年前の1月17日の【阪神淡路大震災】で何が危険か?を痛いほど経験したにも関わらず、その後も震災があるたびに愚かな行いを選択してしまう私たちは、今一度、周りを振り返りながら後世に安心を残すための選択をしなければいけません。
ただでさえ、大地震がいつ起こってもおかしくない日本列島の上に生きているのですから、、、、、
3月11日には、【東北地方太平洋沖地震】から12年です。
なんの解決方法も見つからないまま、今をむかえています。
喉元過ぎればではなく、子どもたちが安心して生きていけるような選択を大人はしないといけないなぁと改めて心に強く思います。
https://japandownsyndromeassociation.org/adult-ds-guideline/
が日本ダウン症学会と公益財団法人日本ダウン症協会の共同で翻訳されました。
上記のサイトより
《医療者向け》《家族向け》を別々にダウンロードすることが出来ます。
どのような疾患も必ずしも全てのダウン症のお子さんに当てはまるわけではありません。
それは、子どもが全て違うのと同様です。
生まれてすぐにわかる疾患もありますが、子育てをしていれば思わぬ疾患やケガに遭遇します。
その時に適切な医療に繋がれるかどうか?で予後は大きく変わります。
32年前の今頃は、私は1歳3ヶ月の娘と淀川キリスト教病院小児科の個室で年越しをしていました。
400ccの血小板輸血とステロイド剤投与で【特発性血小板減少性紫斑病】の治療中でした。
大晦日の22時に赤十字から届いた血小板を輸血され、自己免疫を抑えるためにステロイドを投与されました。
完治するか?しないか?やってみなければわからないと医師に言われ、何も出来ない私はただただ娘の横で泣いていました。
幸い完治したものの、娘は16歳の時には別の免疫系疾患で再度淀川キリスト教病院に入院しました。
気が強いけど、ボディースーツ(娘はガンダムになぞらえて『私のモビルスーツ弱いよねー』と言っています。)が弱いので、いまだに腎機能は要観察です。
(本人は悪くなるまで受診しないので、きっと私は死ぬまでドキドキハラハラの親をやるのだと諦めています。)
2回も違う指定難病に罹るなんて想像していない子育てでした。