「不登校の日は手芸」 自責と焦燥…少女が自らに課したルール
https://mainichi.jp/articles/20220913/k00/00m/040/038000c
毎日新聞 2022/9/13 12:00(最終更新 9/13 15:53) より転載(金森崇之記者)
不登校だった小学生の少女は、学校を1日休むごとに、手芸で一つ作品を作ると自身に「ルール」を課した。部屋には人形の洋服や髪飾りが増え続けるが、罪悪感は消えない。毎日のようにパニック発作に襲われ、泣き叫んだ。母親は「『学校に行くのが普通、学校に行かないのは悪い子だ』という呪いをかけていた」と涙ぐむ。その後、少女が救われたきっかけとは――。【金森崇之】
小さな失敗が積み重なって
その少女は現在、兵庫県で暮らす中学3年のカナさん(仮名、14歳)。
「学校に行くのがつらい」と感じ始めたのは小学3年の頃だった。ハッキリとしたきっかけは、よく覚えていない。学校で友達と一緒に過ごす時間は楽しかったけれど、同級生との会話がかみ合わず、「どうしてもっと上手に返事ができないんだろう」と悩むことが多かった。そんな「小さな失敗」が積み重なって登校するのがつらくなり、休む日が増えたのではないかと思う。
朝起きても登校の準備ができず、着替えを母に手伝ってもらい、手を引かれて学校に向かった。教室に入れないときには校門をタッチすれば出席扱いとなり、母親からは「今日は頑張って学校までは行けたね」と励まされた。だが、1日休むごとに授業についていくのが難しくなり、ますます学校に行きづらくなった。
「みんな学校で勉強をしているんだから、自分も何かしなくちゃ」。焦燥感に駆られ、得意だった手芸で、人形のスカートやブラウスなどを作り、母親が仕事から帰ってくると「今日はこれを作ったよ」と見せるのが日課になった。
それでも、自責の念に駆られる。「学校に行けていない自分はダメなんだ」「学校に行かないと全て終わりなんだ」。小4の夏から突然、過呼吸に襲われるようになり、毎日のように1時間以上も言葉にならない叫び声を上げながら泣いた。小5になると完全に学校に行けなくなり、ほとんど自宅にひきこもるような生活になった。その夏、不安障害と診断され、不眠などの症状を改善する投薬治療が始まった。
「無理やり行かせた」後悔する母
不登校になった少女を支えた趣味の手芸作品。中学生になると、人形の洋服なども型紙を取って作れるようになった=本人提供
カナさんと一緒に取材に応じた母親(47)は、無理に登校させた自身の判断を後悔している。
学校への行き渋りが始まった小3の頃からスクールカウンセラーに相談していたが、「学校では普通に過ごしていますよ」と言われ、不登校の原因も分からなかった。いじめでもない。
「学校に行かせさえすれば自然に不登校も直るはずだ」と考え、半ば無理やりカナさんの手を引いて学校に通わせる生活を約2年間続けた。
カナさんには「みんなが勉強している間に遊んだらダメだよ」と言い聞かせ、自宅にあった漫画やテレビのリモコンを隠して仕事に出かけた。カナさんの表情から、少しずつ笑顔が消えていった。
「今思えば、行きたくない学校にあんなふうに連れて行かれ、地獄のような日々だったんじゃないでしょうか。手芸にのめりこんだのも、他にやれることがなかったからだと思うんです」
母親は、娘の心を追い詰めた日々を悔やむ。
『転機となった診断』
完全に不登校になった小5の6月、学校側の勧めもあり、少女は発達障害などの検査を受け、注意欠陥多動性障害(ADHD)と学習障害(LD)と診断された。これまでの娘の行動を思い起こし、母親はふに落ちたという。障害が不登校の一因となっていた。
「早く気づいてあげられなくてごめんね。今までつらかったよね。行きたくないのに学校に行きなさいなんて、もう言わないからね」
そう謝ると、カナさんは、うつむいたまま何度もうなずいた。
それから、親子は不登校を否定的に捉えることをやめ、学校以外の居場所を探し始めた。
小6になると、障害児らが学校外で生活支援を受けられる「放課後等デイサービス事業」に申し込んだ。不登校や障害を肯定してくれる温かい雰囲気が気に入り、週に数回、同じような境遇の子どもたちと遊んだりして過ごすようになった。カナさんは笑顔を見せるようになる。
「学校よりデイサービスのことを考える時間が増えたら、気持ちも健康になりました。先生も友達みたいな感じ。人と関わるようになって少し自信がついたんだと思います」
母親も「小さい子どもからお姉さん役として頼られることが増えたことも良かったのかな」とほほ笑む。小学校を卒業する頃には、不安障害の症状もなくなったという。
『学校外の居場所がくれた夢』
学校に行くのはつらいけれど、その放課後には大好きなデイサービスに通うことができる――。学校以外の居場所ができると、中学校の支援学級にも少しずつ通えるようになった。中3となった今春には修学旅行にも参加。普通学級に入ることができる日も増え、約5年ぶりに同級生と一緒に給食を食べた。
学校に行けなくなった小学生の時、少女が自宅で作っていた髪飾り。作品がたまるとフリーマーケットで売り出したという=本人提供
来春からは、登校も可能な通信制の高校に通うつもりだ。将来の夢も語る。
「自分を支えてくれたデイサービスや中学の支援学級の先生のような、障害児を支援する職業に就きたい」
ただ、葛藤は今でもある。カナさんは「学校に行けた日は『普通』になれた気がして安心する」という。不登校を完全に乗り越えられたわけでもない。それでも、「学校に行けなくても選択肢はあるし、学校以外でも勉強はできます。デイサービスとか、学童保育とか、インターネットにも居場所はあります。受け入れて理解してくれる人はたくさんいると思います」と、同じような境遇に苦しむ人たちにメッセージを送る。
『学校に行かなくても学べる選択肢』
親子は8月下旬、オンラインで開かれた「♯不登校は不幸じゃない」というイベントに参加した。2018年から毎年開催され、今年は不登校の当事者や保護者、支援者約40人が参加。不登校に至った経緯や現状、将来への不安などを話し合った。
参加者の抱える思いは複雑だ。千葉県山武市の女性(41)は、いじめがきっかけで長男(13)が小3の頃から不登校になった。学校に行かないと決めてからは、地域のソフトテニスクラブやフリースクールが居場所となり、現在は通信制の高校への進学を志しているという。長男は「学校に行っていた時より、今の方が明るい生活です」と笑顔を見せるが、「でも、将来普通の人と同じような安定した暮らしをできるのかなという不安もあります」とも吐露した。
16年に成立した教育機会確保法は、国や自治体に、学校以外で学習する不登校の児童生徒への支援を求めた。22年6月に閣議決定された経済財政運営の指針「骨太の方針」には、柔軟なカリキュラムで教育を実施する「不登校特例校」を全都道府県などに設置する方針も盛りこまれた。
イベントを主催する小幡和輝さん(28)は、幼稚園から約10年間の不登校を経験したが、高校生で起業し、現在はオンラインフリースクールのアドバイザーなどを務める。
小幡さんは「学校は大事です。友達は作ったほうがいいし、勉強もしたほうがいいでしょう。でも、学校で頑張るのが難しいのであれば、それらは他の場所でもできるのではないでしょうか。フリースクールの数はまだ足りていませんが、現在はオンラインなどで学ぶ選択肢もたくさんあります。学校に行かなければならないという『普通』はもう変わってきていると思います。不登校を肯定し、学校に行かない時間をどう有効に使うかを考えてほしいと思います」と話している。
*記事内のカナさんは、《オルタナティブ・スクール とも》でお姉さん的な存在としてだけではなく、あらゆるお子さんたちに対等に接してくれています。
春頃には、学校制度そのものに疑問をもち学校へ行くのがいやだという小学6年生のAさんとオープンダイアログのような形で話をする機会も持ってくれました。
大人が決めた制度のもと、しんどい思いをしている子どもたちがたくさんいます。【不登校】という言葉に違和感もあります。もちろん、学校が好きな子どもたちがいることも事実ですが、子どもたちが自分自身で選択出来るような仕組み(制度)が必要なことに大人も気づいているのではないでしょうか?